風が吹いた。
 それがとても冷たくて、わたしの身を震わせる。また、感じた冷たさにより読んでる本のページを送る手が止まった。肌で実感をしてみると冬そのものだったが、周り見てみると冬とは全く違う風景。
 紅葉した木があり、そしてその葉が風により木が揺らいで少しずつ、少しずつ、舞い散り漂い始めてるところを見ると、秋だと分かる。暦の上ではいまだ冬にはなってはいないけど、この寒さでは冬という季節が通じてもあながち間違いではないように思えた。

 こんなときに、中庭のこの場所でいつものように本を読んでいるわたしは客観的に見ると可笑しいのだろう。
そして、誰でも思うのだろう。なぜ、校舎の中で読まないのか、と――。
 だけど……これから少しずつ寒くなっていく時期に、静かで冷たいこの場所にある緩やかな時間の中で本を読んでいるのか、騒がしくも暖かい教室の中で本をゆっくりと本を読んでいるのか、
 それは、わたしにも――分からなかった。


       白はいつ辿り着く?


「オンッ!」
「ヴァウッ!」
 本を読んでいると突然犬の声がふたつ、続けて耳を刺激してふと、手が止まる。
「わふーっ!」
 さらにまた、犬の――ではなく、能美さんの元気な声が聞こえる。
「クドリャフカ、ストレルカ、ヴェルカ。ご苦労様、解散してよろしい」
 二木さんの能美さんへと向ける優しい声。それが意識しなくもここまで聞こえてくる。能美さんは風紀の見回りの手伝いで、今それを終えた。と、わたしは勝手に推測をする。声だけを聞いて、そのままわたしはまた本のページをひとつ、めくって続きを読む。その時、わたしはとてとてとてーと走ってくる三つの影に気づくはずもなかった。

「こんにちはです、西園さん」
 びっくりしたのも束の間。顔や声には出ないようにしたが、体は少し驚いてしまう。能美さんはそんなわたしの様子には気がつかなかったみたいだった。
「こんにちは」
 わたしは能美さんの顔を見上げ、返事をする。文字ばかりを目で追っていたからだろうか……見上げたときに見た、能美さんが纏ってるその白が少しだけ眩しかった。
「西園さん、なにをしているのですか?」
「本を読んでいます」
「どのようなものですか?」
「完全自殺マニュアルです」
 ………。
 …時が止まった。
 能美さんは宙を見てしばらくの間、黙りこくって何かを考え込んでいる。けど、それもすぐに終わって、その小さな体がとても高い位置まで飛び上がった。飛び上がった姿はマントを大きく広げていて、手をばたばたと振っている。さらにそこからわたしに向かって、小さな風が起こる。…その姿が一瞬、なにかをわたしに幻視させる。
「わふー!?西園さん、はやまらないでくださいー!」
「もう決めました。止めても無駄です。では」
「わふーーー!!待って下さーい!すとっぷうぇいと〜!」
 わたしがこの場から立ち上がって動いていないことに全然気付いていないのか、未だにわたしの目の前であたふたとしている。そういえば能美さんは、冗談でもすぐに信じ込んでしまうのだと言ってしまった後に気付く。冗談でした、と言おうにもそのタイミングが見つからない。しかし、すぐにストレルカが二回程吠えた後、落ち着いた様子。…傍から見ても能美さんとストレルカ、どちらの立場が上にあるのか分からない、と不思議に思った。
「能美さん、冗談です」
「え…あ、あー、じょ、冗談でしたか。わふー」
 冗談で一安心した様子だった。

「それで、どんな本を読んでいるのですか?」
 わたしは無言で、持っていた本の表紙を上げて能美さんへと向ける。能美さんはそれにまじまじと、今にでも食いつきそうな顔で見ていた。なぜかストレルカもヴェルカも一緒になって脇から覗いている。
「おー、ノベルですね、一体どのようなお話でしょうか?」
「秋の日、とある一人の少女が一日だけを何度も繰り返して…そしていつまで経っても冬がこない。そのようなお話などがあります」
「なるほどー、面白いのですか?」
「そうですね……、わたしは面白いと感じました。しかし、それこそ何を見ても一人一人が思うものは千差万別、十人十色でしょう……。なのでこれは面白い、これはつまらない、と言った類のものは能美さん自身が感じることです」
「結構興味を惹かれましたので……では、えーと、今度ですね、ぶっくをれんどしていただけないでしょうか?」
 …何か違う気もするけど、あまり細かいことを気にしないで進めよう。それに、この本はすでに何回か読み終えている。また、本を貸すことには何らかの抵抗も感じない。だから、心地よく返事をした。 
「もちろんいいですよ」
「ありがとうございますです!あ、えっと、さんきゅー!」
「どういたしまして。本ならいつでも貸し出せますよ」
「わふーーー!!」
 快諾がとても嬉しいのか、ストレルカとヴェルカと共にはしゃいで回り始めた。その光景がとても微笑ましかった。少し走ってまた戻ってきて。
「では、楽しみにしてるのです!」
 と、その時だった――

―ビュゥゥン………

「わふっ!」
 また風が吹いた。
 先ほどと同じ冷たい風で、わたしと能美さんの体を震わせる。傍に置いてあった傘も少しだけ転がって行ってしまう。そして、風が吹いたことによりまた、葉が散っていた。木々が起こすざわめきと共に。
 
「うーん、寒いのです。超べりーこーるどです」
「ええ、最近では肌寒い日が増えてきてますね。本をここで読むわたしとしては、迷惑極まりないのですが……」
「そういえば、西園さんは教室では読まれないのですか?」
 …この寒さのまま、冬に入ったらこの地域で雪が降ってしまうのかな、と唐突に白の景色と同時にわたしの脳に映像として浮かび上がった。そしてその雪は木の葉のようにゆっくりと舞い落ちて行くのだろうか。その白く漂っていても地に落ちてしまったらなにかに染まって――
「あ……あの、西園さん、どうかされましたか?」
「…すみません、考え事してました」
「わふー、寒くなってきたので具合が悪くなったのかと余計な心配をしてしまいました」
 目の前の少女を見て、どう感じるのだろうかと考えてしまう。そして、すぐには訊かずにいられなかった。
「能美さん、突然ですが雪は、好きですか?」
「雪……すのーですかー。私の祖国には全くありませんでしたが、すのーは好きですね。あ、もちろん寒いのは苦手です。これまでいろんな国に行ってきましたけど、雪がよく降ってる国にも行って遊んだりもしたり……、それから、白はどっちかと言うと好きですし、それになんと言っても空から降ってくるので、そういうとこから好きですね。あ、それとですね、雪が全くないからと言っても祖国のことはとっても好きですよ。けど今は――いいえ、なんでもありません」

 能美さんは最初の方こそ楽しそうに語ってくれたものの、言葉の最後は滴が一粒、地に落ちていく様子を表すかのように、元気がなくなって行く。それが、独り言のようにも聞こえた。
「いいですね、能美さん」
「そーなのですか?」
「そうです、自分ではなんともないと思っていても、人によっては羨ましいものだったりするものですよ」
「わふー、なるほどー」

―ビュウウゥゥゥン………!

 今度は強い風が吹いた。
 咄嗟のことで、わたしは傍にある傘には目もくれないで、真っ先に手の中にあった本で風から身を守ろうとしていた。
 だが、手から本が離れてひとりでに閉じられてしまう。見ていたページはもう既に覚えていない。白い傘も、わたしから離れて行ってしまった。能美さんはと言えば、帽子を抑えるのが間に合わなかった様で、木の葉と共に強風に煽られ飛んで行ってしまったが、能美さんが指示せずともストレルカがすぐに取りに行った。

 こうなると次はどんな風が来るのだろうか、と考えそうになってしまうが、頭を振る。
「あっ、そうです、西園さん!」
 なんでしょうか?と疑問符すら浮かばないわたしが言うより早く、能美さんはマントを外して横に広げてわたしの隣に座り、自分の首の後ろにもわたしの首の後ろにもそれ回して……。そして、能美さんの方から体を寄せてくる。
「こうすればもっと暖かくなると思いませんか?わふー」
 突然のことでわたしの頭が追いついてない。それほどまでになぜか能美さんの行動は素早い。しかし、暖かい。素直にそう感じることが出来た。
「はい……」
 一人で居た時よりは、感じるものが違った。

「西園さん、こうしてみるとなんだか修学旅行思い出しませんか?
 こんな感じに布団を被って、夜中にみなさんとたくさん話したことを今でもよく覚えています」
 およそ数ヶ月前、たいしたことも起こらないで無事に終えられた修学旅行。それこそ何かが起きるとしたら、来ヶ谷さんが夜這い、または風呂場で女生徒に襲い掛かったりするとか、三枝さんがふざけすぎて大問題を起こしたり、神北さんがなぜか熊と仲良くなってたりとか、井ノ原さんと宮沢さんがバトルをするとか、鈴さんが猫を連れてきたり、宿泊先で拾った猫を連れて帰るとか……。
 または、向こうでもメンバーのみで野球の練習をするなど。何事も起きなくてよかったと言うべきだろうか。
「ストレルカ、ヴェルカ、ありがとうです」
 いつの間にか、ストレルカが帽子をくわえて帰ってきていたようだった。ヴェルカの方は、わたしの傘をこちらまで引き摺りながら運んで頑張ってる。わたしは心の中でしか言えないけど、ご苦労様でした。と労ってあげた。
「思い出と言うと、わたしは目的地に着いた時に突如、どこからか現れた恭介さんに修学旅行の印象をすべて持っていかれましたね」
「そうですねー、そしてなぜかミッションをいつもより多く、与えられたような気がするのです」
「学年の先生たちからも上手く隠れながら、行動していた姿は印象的でした」
「何はともあれ、疲れたけど楽しかったのです」
 結局はこの一言でまとめられる。わたしでさえ、楽しめたのだから。でも、もっと楽しめたらよかった。とも思ってしまった―――。
「わふっ」
 能美さんは掛け声と共に、立ち上がる。
「では、私はそろそろ寮に戻りたいと思うのですが、西園さんはどうするですか?」
「この本をまた読み終えるまで、ここにいます」
 わたしは風により閉じられた本を拾い上げる。
「わふー、分かりました。ではまたあいましょー」
 寮の方へと向き直った能美さんに、ストレルカもヴェルカもついていく。そういえば、二匹ともどこに住んでるのだろう、と考える。だけどそれは能美さんに訊けば分かることで、また後日訊いてみよう、と思う。
 …能美さんが忘れ物をしていることにふと気が付いた。
「能美さん」
 くるっ、とそんな効果音が似合いそうな振り向きだった。
 違和感があるとすればマントがないことだろうか。または関係ない、もっと別の理由からだろうか。
「わふー!なんでしょーかっ」
「これを忘れてますよ」
 わたしは半分地面に垂れていて、半分わたしの肩にかけられたままのマントを指差す。
「あっ、言うの忘れてましたね。えーと、このまま外に居たら寒いでしょーから、今日は西園さんに貸します!」
「オンオンッ!」
「ヴァウヴァウッ!」
 笑顔で言う能美さんの周りをなぜかぐるぐると回ってるストレルカたち。さらに能美さんまでもが一緒になって回り始める。目の前の光景に困惑するな、と言われても困惑してしまうだろう。それほどに不思議なものだった。
「分かりました。では、わたしが寮に戻ったらこの本と一緒に渡せばよろしいでしょうか?」
「はいっ、それでよろしいですっ!」
「ありがとうございます」
 能美さんはそのまま走りながら校舎の陰へと姿を消した。わたしの声が聞こえたのか聞こえなかったのかも分からない。

 能美さんたちが去ったことにより起こった静寂。
 何かがあるとすれば、木の葉が擦れる音。木が揺れる音。虫が鳴いてる音。それぐらいだった。
 貸して頂いたマントをちゃんと羽織り、本の続きを読もうと適当に開こうとした………が、よく見てみるとページの隙間から赤いものがちらちらと見えていた。そこのページを開くと、紅葉が一枚――いえ、二枚。大きさこそ多少の異なりがあったが、なぜか二枚ともお互いに向き合っている。何かの暗示なのだろうか、それとも何かが起こるのだろうか。など、疑問が絶えることはない。
 しかし、そんなことを考え続けていても答えなんて出るはずもないことを悟る。
 不思議なしおりがあったとこのページをよく見てみると、能美さんと会った時点で読み進めていたところの続きになっていた。
 
 穏やかな風が吹く。
 二枚のしおりはどこかへ旅立った。次に辿り着くところへと。
 本を読み進めている途中、不意にこの場へときて風を感じた時の問いが現れる。教室にするかここにするか、の二択が。
 だけど、もう答えが出ていた。わたしはこれからここで本を読んでいようと。そして―――









SSページへ―


トップへ―
inserted by FC2 system