例えば――光に目を向けると眩しくて目を瞑ってしまって。

そして、その背後には自分の暗い部分があって。

そこから振り返ると目の前は影が覆っていて。

そのふたつの境目にいるのが、『わたし』なのだろうか―――。

………

 太陽が空の真上に昇っている小さな昼時。わたしは暗く、静かな裏庭を歩いていた。……もしかしたら、自分の意識とは別に、ただ歩かされていただけなのかもしれない。
 しかし、それは違った。
 確かに小刻みにする音がわたしの足音が聴こえる。それにアスファルト踏みしめる感覚が、今持っている日傘と今ここにいる暗い世界と一緒に、揺れていた。

 それとは別に遠くから……それも背後から、でしょうか。別の足音が聴こえる。たっ……、たっ…たっ…………、と。それもとても不自然なリズムで。わたしはその場に立ち止まって、なぜかそれをずっと聴いていた。音はそのまま遠くに行かず、それどころか逆に近づいてくる。……こちらに来るとは全くの予想外だった。背後の確認を目では出来ない。だが、耳でならある程度分かった。
「今だ!アタックチャンス!!はるちんウルトラ――」
 その声らしきものが確認出来た瞬間、わたしは身体をずらした。ぶつかっては危ないから。
「アタッ――!?ひゃぁぁぁーーーっ!!!?」
 ズデーン!と言う効果音が似合いそうな勢いで背後から迫ってきたその人は、派手に倒れた。こんな爽快な倒れ方をする人は、わたしの記憶の中ではひとりしかいない。全くの別人、という可能性も否定出来ないけれど。
「いててぇ……」
「大丈夫ですか?」
 わたしの目の前で、倒れてしまったその人の姿を見て先ほどにイメージした人物のひとりと、寸分も違わないことを知った。
 そういえば、さっきの台詞の中に正体を教える言葉があったような気がした。
「もー、みおちん、避けるなら事前に教えて欲しかったなぁ」
「脈絡なく体当たりをしかけてくる三枝さんが、どう考えても悪いと思います」
「これじゃ、お先真っ黒だよぉ……」
 人の話を聞かない三枝さんはわたしを尻目に立ち上がり、制服についた埃を払いながら呟く。
「真っ黒ではなくて真っ暗だと思いますが」
「え?そうだっけ?まぁ、はるちん的にはどっちも同じ意味ですヨ」

 周りを少し見渡して見ると――今、ここにはわたしと三枝さんの二人だけ。
 ならば……さっきまでわたしが聴いていた不規則なリズムの音の正体は三枝さんに他ならない。
 そのとき、三枝さんはなにをやっていたのか。それだけを疑問に思い、質問をする。
 その返事は即答、とでも言いましょうか。
 すぐに疑問は解消された。
「影踏みですヨ。みおちんは影踏み知らない?ぴょん、ぴょんって影から影へ飛び移るやつ」
 いつもは三枝さんのことだからろくなこと……と、程度に思ってましたが……『影』――その単語を聞いたとき、複雑な気持ちになりました。そんな気持ちが残ったまま、知っています。と返事をしようとしました。しかし、その言葉が口から出てくることはなかった。
 その間に三枝さんが先に口を開かせていた。
「あっ、みおちん今、私にはそんな遊びは似合いませんネー、そんなことするより寮へ帰ってさっさとベッドで寝て大人しくいた方がよっぽど有意義ですヨー、と言いたげな目をしたなぁ!?」
 ……なぜか、この三枝さんの言いがかりを聞いたら、先ほど感じた気持ちがいつの間にか掻き消えていた。
 しかし、中々見事な言いがかり。お金を払う気には全くなれなかったけれど。
「はい、最初の部分は大体合ってます」
「なんだとぉー!?なら……クド公も影踏みしてたけど、みおちんはそんなクド公についてはどう思うんだー!?」
「とても能美さんらしいと思います」
「クド公は良くて私は駄目なのかー!?」
「はい」
「うぅ……はるちん大ショックー……」
 この程度でショックを受けていたら身体が持たない。いえ、いちいち三枝さんの思考に会わせていては、それこそ身体が持ちそうにはないので、やめておこうと思う。

 不意に、昼の休み時間の続きはまた明日やりなさい。とでも言いたそうに、わたしたちの間に予鈴の音が響き渡る。
 そして三枝さんはなにかを思い出したように、その脚を校舎側へ向け、わたしに背を向けた。
「あっ、じゃあみおちん、またね!」
 なにかあるのだろうか……。
 風紀委員さんたちに呼び出しをくらっていたのだろうか。予鈴を聞いてからでは遅いとは思ったけれど。
 ……三枝さんが去った事で、また訪れたものは静寂。今度は風も僅かながらに流れていた。そして…わたしも戻ろう……と思った矢先。背後に何者かが現れる。この周辺をテリトリーとして、よく出現する人。と言われたらひとりしか思い浮かばなかった。
「来ヶ谷さん」
「はっはっは、やはり西園女史はわかっていたのか」
「いえ、今始めて気づきました。それに、いつからそこにいたのですか?」
「そうだな……葉留佳君が転げた辺りからだな。しかしいつ見ても愉快なキャラだ」
 授業がもうすぐで始まるのに、来ヶ谷さんはなぜここにいるのか。それを考えたが、すぐに答えへ辿りついた。
「次は数学でしたね」
 三枝さんはだから逃げたのでしょうか……とも考えてみましたが、三枝さんが私たちのクラスの授業時間を把握、さらに数学の時間は、来ヶ谷さんが授業をサボっていることを知っているとは思えない。どこかで耳に入っていたのなら別だけれど。
「うむ」
 その瞬間、来ヶ谷さんの目が光ったような気がした。わたしは身の危険を感じ、下を向いてそのまま前へ、校舎へ戻ろうとした……が、なぜか歩き出せなかった。来ヶ谷さんに肩を掴まれてるわけでも、足を掴まれてるわけでもなかった。
 
「さあ美魚君、楽しいお茶会タイムと行くか」
「サボりはしたくないのですが……」
「たまにはいいじゃないか。少し訊きたいことがあるだけさ。すぐ終わる」
 わたしは諦めて身体を回し、目を来ヶ谷さんに向けます。そのときの来ヶ谷さんはなにか、有無を言わせぬような、不思議な雰囲気に包まれて立っていた。不思議な雰囲気に包まれているのは今だけのことではないと思う。ただ、何でもお見通しみたいな瞳は変わってない。しかし、来ヶ谷さんが話したいことなど、見当もつかない。一体、なにを話したいのだろうか?わたしの視点から見るものは全て暗くて、不透明。

 来ヶ谷さんの隣には、いつのまにか椅子が二脚並んでいた。
「座るといい」
「はい」
「そうだな、あとこれだ」
 さらにいつ用意したのか、缶の紅茶と珈琲を取り出し、私に見せ……
「紅茶と珈琲、どっちがいい?」
 ……お茶会と言ってたので間違ってはいませんが、缶というのは少し風情がないと思う。
 選ばない、というのも申し訳ないので、わたしは紅茶を頂くことにした。
「それで、話とはなんでしょうか?」
 紅茶の甘い香りがまわる。
 そして一回、二回、と缶に口をつける。
「そうだな……美魚君、影は大切か?」
 影。
 先ほども出てきた、言葉。『影』――言い換えたらもう一人の自分。三枝さんが口に出したのはそんな深い意味はなかった言葉。<今度は来ヶ谷さんの質問として現れる。しかし、なぜ来ヶ谷さんはこの質問をしたのか。わたしは、それの意図が掴めない。
 なので……わたしはただそのままの意味として、もう一人の自分として大切です。とだけ答える。
 来ヶ谷さんは驚いた様子も見せることなく、単純にはっはっは、と笑う。
「中々美魚君らしい答えだ」
「わたしらしい……ですか」
 わたし、らしい。
 『わたし』とは一体なんだろうか。一言で言うのならばやはり、『影』なのだろうか。
 ……『わたし』の影は『わたし』ではないことはずっと前から変わってはいない。その時から、日の下ではなく、日の陰で見ているこの世界は……違う世界。
「やはり、昼に飲む珈琲は美味い」
「楽しんでいるところを申し訳ないのですが、次の質問はまだですか?」
「あぁ、そうだな……。実のところを言うとさっきの、ひとつだけしかない」
「そうでしたか…。では、お先に失礼します」
「うむ」
 わたしは歩き始める。椅子から立ち上がって、この場から。来ヶ谷さんから逃げるように。
 その時のわたしの影は……どこに向いていたのだろうか。
 その時のわたしの背中は……来ヶ谷さんに、なにを語っていたのだろうか。

 わたしは、もう一人の自分について考えないといけないのかもしれない。

………

わたしが見る物はなにもかも暗くて。

わたしを見る者もなにもかも暗くて。

しかし、その中で違うものがあった。

……

 放課後。まだ紅にも染まっていないグラウンドにて、いつものように野球の練習が始まった。『わたし』が唯一、リトルバスターズと同じ世界にいることを実感が出来る時間。マネージャーとしての立場で。三塁側の木の下で見守る立場で。同じ世界を見る事が出来る時。ひとりひとりの動きを目で追って。猫の動きも、ボールの動きも目で追って。そして、その下にあるものはわたしには眩しくて……。
 暗い世界にいるわたしは、それらを何度も見て思った。

 わたしのは一体どうなのか、と。

 しかし。わたしにはそれを見ることは出来ない。なぜなら……わたしはずっと、陰にいることを望んだのだから。なのに、わたしがいるここは……太陽も見えないのに、なぜこんなにも明るいのだろうか。もう一度、陽を見ることが出来たら……。
 
 しばらく、そんなことを何回も繰り返し、ずっと考え続けていた。

 この集団に属しながらも、楽しそうにしてなかったからだろうか。楽の神様はこんなわたしに天罰をくだそうとしていた。わたしの身体を覆う木の影にさらに丸く、濃い部分が出来上がっていた。それは紛う事なき、鈴さんが投げ、直枝さんが打ったボール。気付いた時にはもう遅い。日傘へ手を伸ばして防ぐ事も出来ない速さ。わたしの反射神経では避けることも出来なさそうだった。わたしは出来るだけ痛みを感じないよう、身体全体に力を入れて目を瞑ってそれの到着を待った――

 ……5秒ほど経ったでしょうか。それが少しだけ、長く感じられる。その間、わたしの身体には何も異変がない。確かに、丸い影はわたしに向かって飛んできていた。ボールはどこへ行ったのか。それを確かめるために目をゆっくりと開いて見る――
 すると。
 視界の端に映ったのは恭介さんの身体。ボールは、そのグローブの中。しかし、一向に立ち上がる様子もなく、倒れたまま。日傘を手に取り近づくと……恭介さんは、
「西園か、一回みんなを呼んで欲しい…」
 と言い、驚きよりも焦りで片手を上げ、それを確認したみなさんは駆け寄ってきてくれる。
 すでに駆け寄って来てくれた人もいたけれど……。

 数十秒後。木の下には十人と、数匹の影。
「恭介、大丈夫?」
「馬鹿兄貴なら大丈夫だろ」
「恭介が怪我なんて珍しいな」
「そうだな、怪我をする役目と言えばオレたちだったしな」
「俺たちじゃなくて、おまえだけだ。真人」
「恭介氏、みっともないな」
「私は恭介先輩がいつかなにかやらかすと思ってましたヨ」
「きょーすけさん、だいじょーぶですかぁ〜?」
「恭介さん、いんじゅらいしてしまいましたか!?」

「おまえら……俺が怪我をしたくらいで大騒ぎしすぎだ。俺だって怪我ぐらいはする」
 その怪我の内容は、捻挫程度でしたが……。
 ちなみに、手当てはもう済んでいます。
「なんにしても筋肉が足りなかっ…いてっ」
「怪我人の前だ。すこし静かにしろ」
「ごめんなさい……」
 いつもがいつもだけに、より恭介さんに優しい鈴さんだった。
 なんだか少しだけ微笑ましく思える。
「重い怪我じゃなくて良かったよ……」
「ま、ありがとな、みんな」
「とりあえず、今日は安静にしといた方がいいと思います」
「西園さんの言うとおりだね。恭介、どうする?」
「じゃあ、そうだな……。理樹、今日一日任せた」
 その一言だけで分かったのか、直枝さんは力強く頷いた。
「うん、任せて。それじゃあ西園さん、恭介のこと見ててあげてね」
「はい、わかりました」
「みんな、練習再開だ!」
 その合図で数十の影は紅に染まったグラウンドのさまざまな場所へ。
 わたしと怪我をした恭介さんは、木の下に。
 恭介さんは軽く木へとよりかかる。

………

わたしが見ている世界は暗くて。

わたしを見ている世界は明るくて。

わたしは明るい世界を見れなくて。

それでもわたしの世界は……………。

………

「無理をしてボールを取らなくても良かったんじゃないですか?」
「ボロボロになってもよ、それでも得難い何かがあるんだ……」
 恭介さんの言葉に思わずクスッと笑ってしまう。
 ここにいると……本当になにもかも忘れてしまいそうだけど。
 しかし、それを忘れていいわけがなかった。
 そのために、わたしは『影』となったのだから……。

 そこで、突然。先ほどにも感じた疑問。考えても答えが出なかった疑問を恭介さんに訊こうと思った。本当は、人に訊くべきことではないのかもしれない……。
 それでも――それでも。訊いた。

「恭介さん、ひとついいですか」
「なんだ?言ってみろ」

「わたしの影は、黒いのでしょうか……?」
「そうだな……」

 その時。かきぃん、と。
 打球音が大きく、綺麗に聴こえ。
 紅く染まったボールは大きく、曲線を描いて飛んで。
 その小さな影は見えなくなってしまい。
 恭介さんの声は雑音もなく、耳にすんなりと入って来た。





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